「男らしさと女らしさ」の先へ

子供は世の中の価値観にとっても敏感だ。家庭環境や社会を生きる中で、無意識のうちに「男らしさ」や「女らしさ」といった概念を学びとって実践していく。幼稚園の年中にもなるころには、男子は基本的に短髪で、ピンクを嫌がったり、女子だったら長髪でスカートを履くといった傾向が見られ始める。中学校や高校にも入れば、子供たちはそれぞれ「男子らしい」ふるまいや、「女子らしい」ふるまいをもっと意識するようになる。

ここでいう「男らしさ」や「女らしさ」というのは、根本的に「人からどう思われるか」に関する概念だ。こうした概念にとらわれてしまう一番のマイナスは、子供が「自分ではない誰か」の仮面をかぶり続けることで、本当の自分を見失ってしまうことにある。周りの人からの評価を得るために「いい男」や「いい女」であるための演技ができたとしても、その心の底では、自分自身や周りの人を偽っているという事実からは逃げれない。偽りの自分を評価してもらっているだけなので、「本当の自分は十分ではない」という思考から抜け出せない。この問題をしっかり捉えるために、まずは日本社会にはびる間違った男女観をおさらいしていきたい。

**(ここで紹介しているものは、プロのNFLの選手として11年活躍したあと、ユーススポーツの環境において、勝利至上主義から脱して、人格育成のためのユースコーチングを広めたり、スポーツ教育を通してジェンダー平等を啓蒙するための活動を行っているジョー・アーマン(Joe Ehrmann)著のInSideOut Coaching: How Sports Can Transform Lives [和訳: 内から外へのコーチング]と、ドキュメンタリー映画「The Mask You Live In」から参考にした内容を参考にして、著者が少しアレンジし直したものである)

まずは、社会的に「男らしく」見えるための条件を見ていこう。
「男らしく」見えるためのハードル

  1. 「強い」存在である
    • 男らしさを定義するのが「強さ」だ。元々は肉体的な強さや、高い身体能力が男らしさを証明するものであったが、現代社会における「強さ」は、肉体の域を超えている。今の日本では、「競争力」や「将来性」が「強さ」であり、これが他者よりも優れていることを周りに見せつけることで自分が強いということを周知に知らしめられる。喧嘩や口論はおろか、大会やコンクール、コンテストで勝つことや、学力テストや入試で良い結果を出すことで、自分の能力の高さをみんなに知らせることができる。スポーツやアスリートの世界でいえば、「速く、高く、力強く」といった物差しになる。学校や塾では「トップの成績」をとることや、偏差値の高い学校の入試に合格すること。文化系、芸術系であれば、コンクールやコンテストで入賞すること。チームや組織においては、周りの人を従わせて、自分の影響力や支配力が大きいことを見せつけられるときに「強さ」を感じることができる。自らの強さ、つまり「男らしさ」は、他者に対して優位な関係を持っている場合に証明されるのだ(1)。
  2. 「美人」と付き合う
    • 男としての価値はいかに「美人」な女性と付き合えるかにかかっていると感じている男性は多い。美人と付き合うことで、自分は女の人から求められる存在であることが認識できる。また、自分は美人にモテるという事実を周りの人に知らせることもできる。その他にも、身体の関係を持った女性の人数やプロファイルによって、自らの価値を見出す人も沢山いる。
  3. お金を稼げる
    • 「できる男」であるためには、収入が高く、いい家に住んでいて、高級な車に乗って、豪華な所持品を持っていて、いつもご馳走を食べることができて、贅沢な生活をできなくてはいけないと思う男性は多い。こうした金銭・物質主義的な部分というのは、最終的に人に見せることで、人からの評価や信頼を得られるという深層心理が働いている。

この三つは、周りへの「支配力」や「影響力」を大きくすることがポイントになっている。この中に、いち人間としての人格や、見返りを求めない思いやりの心、などといった基準は存在しない。

そして、この三つの条件を全て体現しているのが、一部の有名プロのアスリートであり、一部の会社の経営者や社長、といった存在である。プロのアスリートは、みんなの目の前で他の男たちに勝つことで、社会から注目を浴びており、有名な会社の経営者たちも、他の企業よりも業績が高いことや、熾烈な社内競争を勝ち上がって社長や経営者になったことを社会から評価されているのだ。全ては「他者との比較」の中で自分がより優れていることを見せつけるものである。男子は、こうしたポイントを須らく肌で学びとって育つので、それぞれターゲットは違えど、競争に勝つことが自分の価値の証明だと思う人は多い。

それでは次に、社会的に「女らしく」見えるためのハードルを見ていこう。

「女らしく」見えるためのハードル

  1. 「美人」である
    • 「女らしい」女性は常に「美しく」「かわいい」と言われる存在でなくてはならない。女子は小学生になる頃には、自分の社会的価値は自分の外見や容姿で決まることを悟る。自分の運動能力や、知力、芸術能力よりも、周りの人から自分の容姿がどう思われているのか、ということが重視される。これには、テレビやニュースなどのマスメディアによる影響が大きいと言われて久しい(2)。
  2. 周り(特に強い男性)から気に入られる
    • 周りへの好感度の高さや、男性の自尊心をくすぶるのが上手いことこそが、自分の女としての社会的価値につながる、と考えている女性は多い。特に、いわゆる「強い男性」に好いてもらるほど、自分の女としての存在価値が高まると思ってしまうのだ。自分の中で自信が持てない部分は周りから隠しながら、みんなから受け入れられるような「良い女の子」のキャラクターを演じてしまう。
  3. 男性に「助けて」もらう
    • 自分は男性から「守って」もらえる存在であると認識することで、自分の「女らしさ」を感じる女性は少なくない。これは、「強い男性」に対して、女性は「弱く」あるべきだという価値観に基づく。自分が「良い」女の子であれば、シンデレラのように「白馬の王子さま」がやってきて、自分を助けて幸せにしてくれる、という幻想を生きてしまうのである。「強さ」を欲する男のために「か弱い」女性を演じたり、たとえ自分に能力があっても、積極的に行動するのではなく、あえて周りの人に頼んでアクションを取ってもらう。女性の幸せは男性によって決まると思ってしまうので、逆に自分を迎えにきてくれる男性が現れないときには、自分には価値がないのだと思ってしまう(3)。

以上の三つの点に置いて共通するのは、周りの人、特に男性からの評価によって、自分の女性としての価値が定義されているということである。女性にとっての「かわいさ」や「美しさ」は、男性にとっての「運動ができる」「頭が良い」に近い役割を果たしているのだ(4)。しかし、「女らしさ」は「男性からどう見られるか」によって決まるので、女性は「男の価値観」よりも狭い枠組みの中で行動することが求められているとも言える。

全体を通してみると、男性が支配力や影響力を発揮して物事を行い、女性はそれに仕えてサポートする、という構図が浮かび上がる(5)。昨今のフェミニズムや女性の権利運動というのは、こうした男性支配の枠組みを脱して、人々が平等に評価され、自由な社会を目指す (6)。

「男らしさ」も「女らしさ」も、共通するのは「周りからどのように見られるか」に終始している点である。両者共に「自分が本当はどんな人間なのか」ということを探求する概念ではない。自分ではない「理想の誰か」を役者として演じて、その演技に点数をつけてもらうコンテストなのだ。キャラクターの演技と、本当の自分と向き合うこととは両立できない。つまり、演技を続ける限り、本当の満足感は得られないし、心の奥底にどこか自分を偽っている感覚や、違和感が拭えない。それらに慣れて無感覚になっても、それは本当の影響が消えたことを意味しない。それらは見えないものとなって、知らない間に精神と身体を蝕んでいく。

このような社会的プレッシャーを跳ね返して「本物の自分」として生きるには、真の内なる強さと自信が必要になる。子供にとって、自らの足で立つための強さや自信は、彼ら彼女らの周りにいる大人や、子供の属するコミュニティーからのサポート無しには育たない。子供の親や、学校の教師、スポーツのコーチなどは、こうした目に見えない社会的、文化的プレッシャーをしっかり認識して、そうした価値観をどう捉え、どう自分に素直に生きていくかを考えるためのツールを、子供たちに提示する必要があるのだ。

しかし、社会的なプレッシャーに打ち勝たなくてはいけないのは、子供よりもまず大人の方だ。我々大人の多くは、日々自分が他人からどう見られるかの価値観の中で、演技をして生きている人が大半である。そして、これまで一生懸命演技をしてきた人ほど、演技そのものが無意識の習慣になっており、本当の自分の感情や気持ちを見失っていることが多い (そして、そういう人の多くは、心や身体が病んでしまう)。

我々は、社会の目から逃れて生きることはできない (仙人になって山奥に隠れていれば別かもしれないが…)。また、偏見を持った周りの人から、一方的に評価を下されることも止められない。しかし、他人の評価や目線に流されずに、正直に勇気を持って、自分らしく生きる「努力」をすることは可能である。最初から完璧である必要などない。上手くできなくたって構わない。でも、周りからのプレッシャーに流されず、自分と真っ向から向き合う努力をすれば、男として、女として「こうではいけない」という執着が、徐々に取れていく。自分が社会の呪縛から自由になっていけばいくほど、他者の個性もありのままに受け入れることができるような自分が育ってくる。そうすれば、「男」や「女」といった間違った物差しでお互いを測り合う必要が、自然となくなっていく。

大人の生き方というものを、子供はよく見ている。自分の目で見ることで、子供はその生き方をスポンジのように吸収し、自分たちの血と骨に変えていく。「本当の自分」と対峙する努力のプロセスを子供に見せること。今、これが我々大人に求められている。

(1)多くの男子は、自分が他人から弱い存在だと思われることは、極力避け、自分を偽ってでも「強い自分」のイメージを保とうとする。人前で泣いたり、怖がったり、幸せに感じたりという感情表現をすることはタブーなので、そういった感情を自分の内側に溜め込む。その結果、「怒り」以外の感情を見せることは少なくなり、その他の自分の感情にどう対処していいのか分からない男性が多く育ってしまう。このような「強さ」の虚像を演じる男性は、人に相談したり、泣いたり、自分の弱さや恐怖に向き合ったりできないため、心に溜まっているストレスや不安感、恐怖心を、怒りを爆発させることでしか解消できない。それによって他者に危害を加えることも多い。

(2)例えば、細身であることが美しいという価値観は、小学生の段階ですでに広く信じられている。国士舘大学の研究によると、首都圏の小学4、5、6年生1097人にてアンケートを行い、「できれば今よりやせたいか」という質問に対して女子の約70%が「やせたい」と回答していることがわかった(男子は約44%)。「なぜやせたいか」という質問に対して、女子で最も多かった理由は「見た目がいいから」で82.0%であった (男子は82.5%が「速く走ったりすることができるから」と回答した)。

(3)ちなみに、男性の中では、女性と競争したがらなかったり、女性には絶対に負けてはいけないという考えを持っている人も多いが、この根底には「弱い」女性に負けてしまうと、自分の男としての「弱さ」が証明されてしまう、という恐怖心に基づく。女性に勝っても自分の強さを証明にはならないと思ったり、負けてしまった場合には、自分が「弱く」見られてしまうことを恐れているのだ。

(4)男らしさや女らしさを演技をしている人は、お互いに惹かれやすい。それは、お互いの価値観や心理を肯定し合う関係となっているからである。

(5)こうした男らしさや女らしさの概念は、社会人類学的にも、遺伝子や進化論的にも「自然な」「生物学的な」傾向であり、普通なことだ、と主張する人もいるかもしれない。しかし、ここでは、自分がどんな人間なのか、自分は本当はどんな人間になりたいのか、ということを考える前の段階で、子供たちが、こうした社会的イメージを追い求めてしまうことによる弊害を考えなくてはいけない、と言いたかった。自分の理解が低い人は、その後の人生でいろいろな逆境がおとづれた時に、自分でどう対処すれば良いのかわからなくなってしまうからだ。

(6)その一方で、パワフルで影響力の強い女性像やキャリアウーマン像を推すことが主眼となってしまい、単に女性に古典的「男らしさ」を求めるだけになってしまっているフェミニスト活動も多い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です