[民報サロン]最終回: 夢もの語りの原点

東京時代は「生きている」という感覚が希薄だった。人間によってコントロールされた生活。登っては沈む日の光を浴びることのできないビルの一室でパソコンと向き合いカタカタと働いて、朝晩は小さな賃貸アパートで一人自炊する。他人から干渉されないという、ちっぽけな「自由」を手に入れた私にとって、そんな毎日はどこか空虚で、どこかつまらなくて、どこか熱が入らなかった。自分がこの世界に在る意味に正面から向き合わずとも、そこそこ快適に暮らせてしまう。そんな生き方に終止符を打とうと決めた私は東京を飛び出し、会津にある「自然農法無の会」という農園で働きはじめた。

自分たちが食べたい食材を、贅沢に自由に育てる。これが無の会の栽培方針だ。そのために、とにかくいい土を作る。

カギを握るのは、農園の自家製堆肥。無の会には大きな堆肥場があって、そこには一年中、地元の事業者さんが植物性の有機物を運んでくる。会津地方で解体される古民家の茅葺屋根に使われていた茅や、近所の農家さんから寄せられる籾殻や糠、豆腐屋さんのおからや、知り合いの酒蔵さんが持ってくる酒粕などが原材料だ。そんな地域資源を活用して、年間で600〜700トンもの堆肥を作る。暖かくなってくると、堆肥場には蜜を求めて蜂や蝶が飛び交う。発酵熱で湯気を吐く堆肥の山からは淡くフルーティーで、雨上がりの森の土のような香りが漂う。

この堆肥をすき込んで寝かせた土で、米や野菜、大豆、なたね、いちごなど、80品目以上の作物を有機栽培で育てている。16町歩もある田畑の全てにおいて、農薬・化学肥料は一切使わない。外部から購入する肥料もごくわずか。95%以上の土づくりの原料を地域資源で賄っている。土の栄養バランスが整っているため、あまり手入れをしなくても病気や虫、異常気象に負けない生命力の高い作物が育つ。

無の会の作物には、どれもほのかな甘みと旨みがあり、味わい深くもスッキリした後味がある。美味しくてつい食べすぎたとしても、全く胃がもたれない。しばらく保管しておいても、味も鮮度も長持ちする。お米に至っては、炊き上がりから長期間放置すると、自然に乳酸発酵をとげて甘酸っぱい香りを放つ。

そんなお米や野菜を一日三食、農園のみんなで一緒に食べる。もう2000回以上も食べたご飯だが、今でも一口ひとくち美味しくて感動する。もともと身体は健康な方だったが、今が人生で最も体調がいい。仕事と農作業が重なるハードなスケジュールも、ガンガンこなせる。これまで以上に高くなった活力が簡単なことでは落ちないし、加えて身体感覚も研ぎ澄まされてくる。頭もよく回り、直観も冴えわたる。

この世界を「自分」という存在を通して「生きている」という確かな感覚が、無の会での暮らしにはある。自然がもつ本来の豊かさを取り戻し、育んでいく「農」という営み。これを通して、私自身の内なる世界が静かに息を吹き返し、確かな深みを帯びてきた。

この感覚を、これからを生きる人々にどのように拡げていけるのか。自らの「生」を正面から受け止める仕事として、暮らしとしての「農業」の在り方。そんな夢もの語りを時間軸の彼方に描き、私は次なる一歩を踏み出す。

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