[民報サロン] 第三回: 米国、自由を味わう

19歳、米国の大学に進学した。東海岸北部・コネチカット州の田舎町にある「ウェズリアン大学」という小さな学校だ。1831年創立。全校生徒は3000人。総合大学と違い、研究よりも生徒への教育を重視する大学であったため、全米や世界各国から優秀な学生が集まってきた。

人生初の留学生活を前に、私の期待は大きく膨らんでいた。自分と全く違なる世界を生きてきた学生たちと寝食を共にしながら、お互いの夢や感性を語り合い、学問を突き詰める。そんな刺激的な生活が心から楽しみだった。

でも、現実は違った。自分の英語が予想以上に下手くそだったのだ。まず、同級生が喋っていることを十分理解できない。自分の言いたいことも、100%伝わらない。人と深く対話ができなかったことは、本当にきつかった。

何事を言うにも時間がかかってしまう自分をみて、周りの学生たちは次第に話しかけてこなくなった。他にもたくさん面白くて分かり合える人間がいるのだから、当然である。早々と見切りをつけられた自分に、焦りと憤りを強く覚えた。

このままでは、せっかくアメリカまで来た意味がない。覚悟を決めた私は、日本語の本や文章、音楽を聞くのをピタリと辞めた。頭の中さえも完全に英語に切り替えるために、腹筋の回数すら英語で数えた。長期休みに入ってもほとんど帰国せずに、ニューヨークやボストン、フィラデルフィアにいる友人の家を回って、彼らが育った家庭環境や文化を直に学んだ。

一方で、大学では猛烈に勉強した。毎週300-700ページの社会理論や歴史の文献を読みこんで、毎週5-7ページの論文を書く必要があったので、食事と運動以外のほとんどの時間は課題に費やした。週に2回は徹夜で勉強せざるを得ないほど忙しく、必然的に友人と過ごす時間は多くなかった。周りの学生との親交を深めたくても、時間がとれない。週末の夜、他の学生がパーティーに繰り出していく中、よく独りコーヒーを啜りながら図書館で論文を書いたことを覚えている。

そんな私も4年生になるころには学力が伸び、時間にも余裕が生まれて、人と語り合う機会が増えた。会話での表現力も人並み以上になり、自分の考えや感性を120%伝えられるようになった。社会や政治、夢や理想について、本音で語り合える仲間ができ、友人の輪が拡がり、絆も深まっていった。

最終学年にして初めて、ウェズリアン大学という場の本質が分かってきた。誰かがバカをやろうと言えば、みんなで集まって知恵を出し合い、本気で遊ぶ。地域のために活動しようといえば、有志で組織が立ち上がり、プロジェクトが運営される。お互いがそれぞれの価値観や志を受け入れて、心から応援する。損得なしに相手の人間性を受け入れて、高め合う。そんな寛容で豊かな環境が大学にはあった。深く通じ合える仲間に囲まれて、私はこの上ない自由と充足を感じた。

心より信頼できるコミュニティーに支えられて、人は初めて「自由」になる。この真実にようやく触れた2016年の初夏、新緑に輝くキャンパスのもとで、私はついに卒業の時を迎えた。

それから7年。はるか遠く、会津の地で再び、「自由」が芽吹き始めた。

On May 8, the Wesleyan community gathered in the CFA Courtyard for an ivigorating performance filled with the rhythms of West Africa, featuring choreographer Iddi Saaka and master drummer Abraham Adzenyah with their students in three levels of “West African Dance” courses, plus guest artists.

***この記事は2023年3月1日に福島県の地元紙・福島民報の「民報サロン」にて掲載された記事のデジタル版になります。***